ついに実現する空手vsキックvsカンフー(1)

前回はフィリョの重心移動の技術がすごすぎる事やそれが発勁と言えるレベルに達している事について書いた。中国拳法の技術は私の理解では発勁を中心に組み立てられている。中国拳法は練法に莫大な努力と時間を注ぎ込む。練法中国拳法初学者は練法に取り組んでいる間は何をやっているのかさっぱりわからない。発勁には身体の各部の非常に難しい操作が求められ、そしてその連携が求められる。フィリョが発勁を使っていると書いたが、発勁には中国拳法各門派によって実に様々なバラエティーがある。フィリオが用いた重心移動は、発勁の極意であるが、全てでは無い。中国拳法の練法は身体の各部の非常に難しい操作とその連携及び発勁の原理を頭と心と体で理解していく。非常に時間がかかるものである。私が47で中国拳法を始めたのは、この年だと空手で強くなるのは限界があると感じたからだ。もちろん大山倍達先生や大石代悟師範といった歳をとっても強いまさに人間離れした達人が極真空手にはいる事は知っているが、それは私のような凡人が立ち入ることができない境地のように感じる。それこそ鬼のような修練と強さへの渇望を持つ者だけがそこに到達出来るように感じる。

 

私の個人的な分析なのでそれぞれの関係者は怒らないで聞いていただきたいが、もし極真空手と中国拳法が戦ったら、(中国拳法といっても実に様々で本当の技術を受け継いでいる人はごく一握りであり、私が言う中国拳法とはそのごく一握りの本物の事を意味する。)どうなるだろうか?

 

中国拳法を便宜上すごく大雑把に分類する。中国拳法には様々な分類方法があるが私が思うに大事なのは体を徹底的に鍛えあげ、それと同時に技を学んでいく流派(よく外家拳言われる)。その代表として少林拳が挙げられる。

 

それとは全く違う方法で独自の練法を持ち、気の遠くなるような長い時間と忍耐を持って技と体を練り上げる流派がある。それは主に内家拳と呼ばれ、内家拳を代表するのが太極拳、形意拳、八卦掌である。

 

少林拳といっても嵩山少林寺少林寺の拳法であって日本の少林寺拳法とは縁もゆかりもないわけだが、少林拳には少々複雑なお家事情がある。

 

「天下の功夫少林寺より出づ」という格言があるほど、少林拳は偉大であり、中国拳法各門派に影響与え続けてきた。かつて少林拳を学ぶ事は容易ではなく、基本的に入門して僧侶にならなければ学ぶことができなかった。

 

少林寺では還俗(げんぞく)と言って、僧侶が俗世間に帰ることが許されている。もちろん、僧侶になる際は生涯を御仏に捧げる覚悟でなるわけだが、やはりやむなき事情で還俗する僧侶は稀にいたわけだ。

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