極真空手最強伝説は終わったのか(6)〜フィリョは発勁を使っていた

芦原英幸氏は故人であるが極真空手の天才空手家であった。芦原の天才ぶりを伝える逸話はたくさんあるが、最も確かなのは優秀な弟子をたくさん育てたことであろう。極真会館設立後は本部指導員を経て、極真会館四国支部長に就任した。

本部道場の後輩にあたる実力者長谷川一幸も全日本空手道選手権大会前には四国に赴き、芦原の特訓を受けた事も芦原の強さや指導力を表している。

しかし1980年9月、自らの弟子石井和義に命じた芦原道場の関西進出などが原因となり、師である大山倍達と対立し極真会館を永久除名される。

同年、自流である芦原会館を発足。相手の攻撃を受け流して側面・背後から反撃を加える『サバキ』と呼ばれる技術を体系化し、「誰にもできるカラテ」を提唱、海外各国へも積極的に指導に赴き、芦原会館を国際的な空手会派へと育て上げた。

ここでは関係ないが石井和義氏が登場したので軽く紹介しておくと、彼も芦原英幸が育てた天才空手家で黒帯を取るのが難しい極真空手において、野球で作った下半身と機械体操で磨いた柔軟性でわずか二年で黒帯を取得した。

1980年独立し、大阪・岸里に新日本空手道連盟正道館を発足して館長となり、翌年に正道会館と改称し、大会を毎年開催。以後佐竹雅昭・角田信朗・柳沢聡行らが他流派の空手トーナメントに参戦し、正道会館は「常勝軍団」の異名を取った。

1990年全日本キックボクシング連盟の大会に参加したのを皮切りに興行の世界へ進出する事になった。

1991年 前田日明の総合格闘技興行「リングス」と提携し、興行のノウハウを吸収した。このリングスが日本における近代総合格闘技の草分けの一つであり、もう一つは佐山聡のシューティングでどちらも新日本プロレスから派生している。中でも前田日明は極真空手の打撃技術に傾倒していて、リングスにも取り入れられた。

1992年石井は様々なルールを取り入れた「格闘技オリンピック」を開催した。これが今ではK-1の前身として評価されている。そしてついに1993年4月30日 フジテレビのイベント「LIVE UFO」の一環で「K-1 GRAND PRIX ’93」を開催した。

K-1の意味を知る者も今では少ないだろうが、当時言われていたのは、空手、カンフー、キックボクシング中で1番を決めようではないかという触れ込みだった。極真空手の流れの中から天才的空手石井和義が生まれ、彼がプロモーターとしても一流の才能を発揮してK-1が生まれた。

K-1はまさに夢の舞台で、本当なら戦うはずのない各キックボクシング団体のベビー級からスーパーヘビー級のチャンピオンクラスが高額な賞金に引かれて参加し、それに最高峰の空手家が挑戦していった。第2次格闘技ブームの衰退とともに、高額なファイトマネーを支払えなくなり、K-1は一時途切れたが、石井氏はK-1のトップファイターを講師に招いてフルコンタクト空手の技術革新を起こした。その技術や思想は通称新空手と呼ばれる全日本新空手道連盟に受け継がれた。ボクシンググローブを着用した上で参加者のレベルに応じてK-2、K-3、K-4の3クラスに分けられ試合を行う直接打撃制の空手である。新空手は新世代のK-1ファイターを生み出している。現在のK-1は運営元を「K-1実行委員会」という団体が担っていて石井氏が立ち上げたK-1とは別組織による運営になっている。

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