極真空手最強伝説は終わったのか(7)〜フィリョは発勁を使っていた

ついつい格闘技の話になると面白くて話があちこちに飛んでしまって申し訳ないが、新垣清師範に影響を与えた2人のフルコン空手家とは芦原英幸氏と彼の最強の弟子二宮城光氏だ。二宮城光氏は1969年に極真会館芦原道場へ入門した。まさに極真空手ブームが起こり、最強の空手家達がひしめき合っていた非常にレベルが高い第10回全日本選手権では、準決勝で中村誠、決勝で三瓶啓二といったそれぞれ伝説級の空手家を判定で下して、念願の全日本チャンピオンとなった。二宮城光氏はフルコンタクト空手の歴史を語る上で外す事の出来ない名選手であり、歴代極真空手家の中でも10本の指に入るだろうと思われる圧倒的な実力者である。ちなみに二宮城光氏は1980年、師である故・芦原英幸と共に極真会館を脱退、芦原会館米国本部長職を経て、1988年に独立して円心会館を設立している。芦原英幸、二宮城光という二人の天才によって、直線的だったフルコンタクト空手にサバキや円の動きが取り入れられた。

その極真のレジェンドである芦原英幸氏と当時極真最強であった二宮城光氏の元(おそらく芦原会館がアメリカ進出した時)を沖縄空手の全ての秘伝を受け継ぐ男、新垣清師範が訪れたのだった。これで何かが起こらないはずがないだろう。芦原英幸氏審判で新垣清師範と二宮城光氏の非公式試合が行われた。秘伝を受け継ぎ練り込まれた新垣師範の技はあろう事か、極真空手の最高実力者である二宮城光氏に面白いように決まったという。

私と同じにしては、新垣師範にあまりにも失礼だが、私も極真の重量級チャンピオン新保氏と試合をしたことがある。当時は未熟の中にも未熟で、私が何をしても新保氏にはきかなかった。そしてハンマーのようなレバーブローが見事に私の肝臓に入り、私はダウンして運ばれた。

二宮城光氏は雑なファイターではない。むしろ特筆すべきは彼のディフェンス力になるだろう。その二宮城光氏に次々と技を決めた新垣師範は凄まじいレベルだったと思われる。

沖縄空手や中国拳法には見えていてもくらってしまう技という者がある。それこそがまさに当破や発勁と関係してくるのだが、一言で言えば全身を大波と化するのである。受け手はどこを防御すればいいかわからず、逆にせめてはどこが当たってもダメージを与えることができる。俗に言う波浪勁である。沖縄空手には一寸力(チンクチ)と言う技がある。主に手首から先の操作で全身で発生させた勁力を一点に集中させるのだが、沖縄空手では試合の際、一寸力を用いないことになっていると言う。発勁の動きは体に染み込んでいるので、これで一寸力を用いてしまうと、相手を病院送りにしてしまう。病院送りならまだいいが、沖縄空手には本当に相手を死に至らしめる技術がいまだに伝承されている。それゆえに一寸力が試合で厳重に禁じられている。相手を絶対に倒す極真空手と相手を殺してしまうが故に一寸力を封じた沖縄空手との差が出た。結果は二宮城光氏の圧勝だった。

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