極真空手最強伝説は終わったのか(9)〜フィリョは発勁を使っていた

弱々しい細身の老人が、マッチョな外人を吹き飛ばすイメージだが、もちろんそれも可能だろうが、発勁を行うのが、老人というイメージはその習得の難しさから来ているのであって、私が理解している分には、筋力や体格に優れていれば、同じ技量であれば、筋力や体格に優れた者の方が強力な勁を発する事が出来る。

フィリョがなぜ発勁の極意を体得しているかと言えば、大山倍達先生の「空手の技は相手を数メートル吹き飛ばさないといけない。」と言う教えが、元になっている。中国拳法初学者がまず志すのがこれである。すなわち、推手において相手を数メートル吹き飛ばす事。これは重要な要素になってくる。この段階を中国拳法では明勁という。

これを体得させるためにフィリョの師匠である磯辺師範が考案したのが、移動式サンドバッグである。フィリョはこの移動式サンドバッグを付きでも、前蹴りでも、回し蹴りでも動かしてみせた。こうしてフィリョは発勁を使えるようになった。

これがフィリョがちょこんと当てたローキックでピーター・アーツの足が血まみれになった秘密である。ただ、誤解のないように言っておくが、フィリョの技は確かに完成されたものであるが、発勁段階で言えば、始めの段階をクリアしたにすぎない。この段階でさえも、実践で使えるものとなると果たして世界に何人いることだろうか?しかし発勁にはまだまだ奥がある。このブログでは発勁についても具体的にその仕組みについて書いていこうと思う。

移動式サンドバッグ  白蓮会館沖縄支部・宜野湾道場

ちなみに新垣師範のその後であるが、タイのバンコクにてムエタイの殿堂ルンピニー・スタジアムに出場。

この時の経験について本人から聞いたが、凄まじい恐怖体験だったと言う。まずは粗末な医療事情。大怪我を追っても対処できる病院が無いように思われた。加えて試合の過激さ。薄い皮のようなグローブをはめて、パンチキックはもちろん肘膝ありと言う過酷なルールで、その当時はルンピニースタジアムで年に十数人の死傷者が出ていたと言う。もはやそれは試合と言うよりも殺し合いに近い雰囲気だった。レフェリーも怪我をしたら試合を止めると言うようなことではなく、はっきりと決着がつくまで試合を続行させた。と言うのはそもそもムエタイと言うのは賭けによって興行が成立しており、きちんと決着がつかないと客が納得しないと言う事情があった。さらにはタイ人は国技であるムエタイに大変誇りを持っており、生意気な日本人の挑戦者などつぶしてしまえとこれは聞いた話ではないが、言う雰囲気があった事は容易に想像できる。そのような極限体験を経て新垣師範の空手は完成されていた。

コメント