総力特集 RIZIN15(31) 〜ケンカ屋、朝倉未来(あさくら みくる)

  • ケンカ屋、武術家である私が最も嫌う人種である。武術家は 一生をかけて己と言う刀を研ぎ続ける。心を沈め、神経を集中し、丁寧に丁寧に磨き上げる。その刀を抜くのは一生に1回あるかないか。古いかもしれないが、それが武道家の生き方だと私は思っている。それだけでは己の技量を試す機会がないのでそのためにため試合がある。

ケンカなどというのは武術家のする事では無い。己に降りかかる火の粉を払う事は許されるだろうが、それ以上の私闘はしない。それを武徳という。

もちろん、心からそう思っている。しかし、武術家がそうやって常日頃自分を諌めなければならないのは、武術家が誰もが自分の中に、獣を飼っているからである。ノールールでやった時、相手が柄物を持っている時、街の雑踏の中で自分はどれだけ強いのか?試してみたい誘惑にかられる。しかし、そんな誘惑に負けていたら、銃のないのない、治安の良い、行列を作って順番を待つことができる素晴らしいかけがえのない日本は失われてしまう。

ケンカ屋を決して肯定する事はできないのであるが、朝倉未来(みくる)の試合には正直度肝を抜かれた。彼の異様なディフェンステクニックにである。

日本の武術には見切りという技術がある。私が偶然剣道について学ぶ事になった時に、全日本選手権覇者の試合を生で何試合も見る機会があった。日本の剣道というのは凄まじい技術で、相手が攻めてくる時は寸歩下がって、ギリギリ相手の攻撃をかわし、そこから1歩でて自分の攻撃のままにし、攻撃をする。剣道というのは一言で言うならば間合いの取り合いであり、これは武術の本質である。それは徒手空拳でも同じ事で、間合いの取り合い、制空権の奪い合いをするのは、打撃系格闘者の中でも名人クラスと言える。

小説に出てくる宮本武蔵は自分の額に米をはりその米を切らせて自分は無傷であり相手を切り倒したと言う。そんなことがあり得るはずがないと私は思うが、ひょっとしたら前髪ぐらいは切らせたのかもしれない。そうだとしても凄まじい超人だ。

コメント