総力特集 RIZIN15(9)

正直に言うと私は女子格闘技を馬鹿にしていたところがあった。女子でもサッカーはできるだろう。レスリングもできるだろう。しかし格闘技は絶対できないと思っていた。

試合のもともとの意味をご存じだろうか。試合とはもともと死合いであった。片方が命を落とす事があることを前提としたものだったのだ。ほとんどの男が心の中に闘争本能を持っている。強くなりたいと言う抗えない衝動を持っている。その衝動に抗えずにある意味本能に従って生きている馬鹿な男たち。それが格闘家であり武道家だ。そして私はそんなバカたちを愛さずにいられない。鍛えに鍛えた技を試したい、たとえ命をかけている。これが死合いだった。やがて時が進み、人類の倫理観は進歩して、さすがに殺し合いはまずいだろうということになり、実は死合いの要素を残しながらも、(試合中命を落としかねないと言う厳しさがある以上、死合いの要素は残っていると思う。)グローブやレフェリーの導入で殺し合うことなく、技を話し合うことができるようになった。

これは大変素晴らしいことである。しかし、この倫理観に基づいた素晴らしいシステムは1つの疑問を生むことになる。もし、 ルールなしだったらどっちが強いんだろう?この想いも抗えない衝動から来ていると思う。その結果として、総合格闘技が生まれた。総合格闘技は非常に面白いが、今度は本当の実戦で使えるのかと言う疑問が出てくる。実戦では、敵は複数いるのが当たり前である。そういった中でマウントポジションや寝技の技術が使えるのか。もし使えるとしても、一瞬で決めてすぐにスタンディングの状態に戻るべきなのではないだろうか。今のところ巌流島がそちらの路線を追求している。総合格闘技はもはや完成された格闘技なので、これからも発展していって欲しい。それと同時にキックボクシングルールで立ち技の技術を追求するのは本当に素晴らしいことだ。この2つを追求して、さらに技術交流をさせる。RIZINの出した答えは、ある意味格闘技を完成させたと言える。アメリカのMMAとは一線を画する、格闘技、武術大国日本だからこそ生み出された大会だと言える。今後、RIZINを格闘技の1つのジャンルとして、全日本的に技術指導のジムを作って欲しいと言うのは身勝手な願いなのだろうか。今、空手関係者が必死で頑張ってらっしゃる新空手と協調路線も考えられるだろう。しかし、新空手を推進されている方々の苦労を考えると、新空手は新空手で進んだ方が良いかもしれないと言う思いもある。格闘技が好きすぎて、ついつい話が脇道にそれてしまうのが、私の欠点なのだが、そんな話にもついてきて下さるマニアだけが読んでくれればいいかなと言う思いで熱い思いをこのブログにはぶちまけていく。

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