空手の「空」は「くう」なのか?

日本人の武道家にとって空手とは一格闘術以上の深い意味があります。私も空手の魅力に取り憑かれた者の一人です。

最初にやや抽象的な話になるかもしれませんが空手とは何かということについて考えてみたいと思います。

私は中学生の時に初めて拳法という物に接しました。それから独学で修行を始めて、初めて人に空手を習ったのが20の時でした。

初めて習ったのは沖縄剛柔流でした今、思うと本土の剛柔流と本質的には同じですが、細かい所は大分違うと思います。

沖縄剛柔流の師範からよく言われたのは「空手の「空」は「色即是空 空即是色」の「空」である、だからとらわれるな。」

繰り返し「色即是空 空即是色」「とらわれるな。」
と教えられました。後に他の師範から教わった事は「空手の最大の敵は「居着き」である。」「歩く事が出来れば強くなれる。」という事でした。少し、解説すると重心が完全に安定して動けない状態では空手家は何も出来ず、それは空手家としての死である。空手家はいつも次の一歩、次の攻撃を繰り出せる不安定の中に安定を求めなければならないという事です。居着かずに、不安定の中で安定する人間の所作で最も代表的なものが「歩く」という所作です。空手の奥義は「歩く事にあり。」と言えそうです。

とらわれないという事は物質的には居着かない事であり、歩き続ける事。精神的にも様々な試練にあっても、思考停止して立ち止まるのではなく、次に起こる事に対応出来る体制を作る事だと思います。

それは、生きる確率を上げる事なのでしょう。

私は格闘技漫画が大好きです。格闘技漫画からヒントを得たり、やる気をもらったりしました。このブログでも、僕が読んできた格闘技漫画を紹介したいと思っています。

修羅の門でも空手の空について述べられています。大山倍達をモデルとする
龍造寺徹心が空手の真髄は「空」であろうと結論しますが、「空」の実態をつかむのは弟子の海堂晃に託します。

そして海堂晃は「空手の『空』とは、因果を読み、受け入れ、呑み込み、崩し……一撃を放つ。ただ、それだけの事」と悟ります。

 

空は全てを飲み込むこむ物、人間が空になるには攻撃を受け入れながら崩す事。見事な空の解釈だと思います。

コメント